京の戦い「脇差」「打刀」の登場

室町時代、その戦いの場は鎌倉幕府から室町幕府のある京に移ります。また、合戦においては、武家だけではなく農民である雑兵が多く登場しはじめるのもこの時代の戦い方の特徴でもあります。それまで、大きな権力をもっていた幕府よりも、実力のある武家たちの支配が増してくると世の中には「下剋上」というようなムードが高まっていったようです。「戦国時代」の幕開けであります。この頃、武士たちは、太刀から「脇差(わきさし)」や「打刀(うちがたな)」を使用するようになります。戦いの場が、京の街での市街戦となると、大振りの日本刀よりも、小ぶりのものが求められるようになったからであるようです。農民たちは、農業を営みながら雑兵として駆り出されていたので、通年として忙しい日々を送っていたかもしれません。戦いは、農民たちが比較的農作業から離れる時期であったとも考えられているようです。武器は刀剣の他にも槍などが用いられていたようです。織田信長が登場する頃になると、雑兵たちに戦いの訓練を行い、農民たちのアルバイト的な雑兵ではなく、戦いのための戦闘員を増長させていったようです。

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