目貫通りは日本刀から生まれたそうです。
「目貫」とは日本刀の太刀が柄から抜けないようにする金具の頭が出た部分のことをさしたりしますが、そこを装飾したりするようになり、刀の見た目や柄を握ったときの感覚などに関わるため、中心線に正確に施されているそうです。
そのことから中心、町の中心を走る通り(繁華街)を目抜き通り(目貫通り)と呼ぶようになったそうです。
また「反りが合わない」も、刀と鞘が合致しないことを表した言葉ですが、現代では「なんとなく反りが合わない」などというふうに使っています。表面的には合っているけれど、どっか合わないというような感じでしょうか。確かに、刀が鞘に何となく収まっていない感じは微妙に気持ち悪いような気もします。
「鍔迫り合い」もそうです。鍔がぶつかり合うほど接近して戦っている状態というか、でも刀は抜いてないので、爆発寸前という感じでしょうか。
現在では、力が拮抗した同士の接戦を差します。
「切羽詰まる」は、刀の鍔口のところにある切羽の部分が、血か何かが詰まって刀が抜けなくなることをいいます。
鍔迫り合いのあとに切羽が詰まってしまったら、もうだめですね。終わりです。
「土壇場」も日本刀由来の言葉です。切羽詰まったと同じくらいヤバイ感じです。
「土壇場」とは土を盛った壇のことです。江戸時代はこの土壇場に罪人などを寝かせて、斬首していました。もうどうにもならない状態です。これが転じて今でいう「土壇場」になったそうですが、由来を知ったら軽々に使えませんね。
「折り紙つき」は平安時代ころ紙を横半分に折ったもので目録を作っていたそうですが、江戸時代ぐらいから刀などの鑑定書として使われるようになりました。それで、今では目利きの保証がついているようなものに「折り紙つき」と使います。