千子村正

通称「千子村正(せんごむらまさ)」は伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工で、千子派の祖、及びその名跡やその作になる日本刀の名です。

史上最も有名な刀工名のひとつで、その作は武器としての日本刀の代名詞であり、斬味凄絶無比と名高く知られております。三河武士を中心に徳川家康、豊臣秀次ら天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用され、刀剣美術としても高く評価されています。

村正の名が広まったひとつに「妖刀伝説」というものがあります。徳川家に仇をなす妖刀という逸話があります。

徳川家康自身が村正が打った刀で怪我をしたり、祖父や父、息子が村正によって被害を受けたので徳川家に禁止されたというものです。実際には徳川家康は二振りの村正を子孫に託したり、譜代の重鎮も村正や村正から影響を受けた刀工の武器を使用していたりしていました。村正は三河武士に愛好された武器だったと言われています。

なぜ妖刀伝説ができたのか。それは正保以降に書かれた偽書で村正の作は徳川三大不吉の刀槍だと書かれており、直臣から陪臣に至るまで皆余裕を禁止となっていたのです。

この説がおよそ100年の時間をかけて1700年台後半までにはかなり広まってしまいます。1800年代になると幕府の正史の附録に妖刀村正伝説が収録されてしまったのです。

妖刀伝説の普及で有名人が根拠もないのに村正の所有者とされるようになり、結果、伝説は噂から倒幕の象徴のひとつになってしまいました。西郷隆盛らは実際に所持していたそうです。

歌舞伎や浮世絵にも影響を与えた「妖刀村正」は、真偽の程はともかく、とても広く名が知れた刀です。至上最も有名な刀のひとつなのはこういった逸話が原因なのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です